「寮の窓」
実はこの前、大学から招待状が俺の住んでるタイに来たんだ。
H大学のH寮を壊して10周年だか何だか。
皆であの頃を思い出して会いませんか、みたいな招待状だった。
俺はそれを見た瞬間、反射的にゴミ箱へ捨ててしまった。
もちろん懐かしさは感じたが、それと同時にあの嫌な体験も
思い出してしまったからだ。H大学は、北海道のまだ自然が大きく残る都市にあり、その大学内にある
H寮はけっこう古い部類に入る学生寮であった。
大学在学中、俺はずっと大学の寮に住んでいた。寮だけあって家賃が激安だし、古いだけあって部屋は狭いが学生二人で
同居するような形を取っており、窮屈ではあったが俺のような寂しがり屋
で怠け者にはとても住みやすい環境であり、俺の4年間はこの寮が中心だ
と言っても過言ではない。*
話は変わるが、俺にはKという一つ下の後輩がいた。
奴は柔道部で、なぜか市内に実家があるというのに寮に住む性格の真っ直
ぐな良い奴だった。
そんなに仲は良くないが、たまに会っては一緒に馬鹿をやったり飲んだり
する仲である。まだ俺が二年の頃、学校から奴と一緒に寮まで歩いて帰ったことがあった。
6月とはいえ、北海道の夏にはまだ早く肌寒い黄昏時だった。「……あれ?」
Kが素っ頓狂な声を上げた。
「どうした?」
「いや……おかしいな。
俺の部屋の窓から誰かが覗いてた気がしたんすよ。
ま、気のせいでしょうね」「はぁ……何だそれ?」
俺が見上げたKの部屋には、沈みかけた西日がくぐもって反射している
だけで何も見えなかった。
話はそのまま自然と他の下らない話へとシフトしていった。じつはその頃、俺は大学の学園祭の部員をやっており、寮の怖い話などと
いうくそみたいなネタを集めていた。
その中に『帰省中に帰ってくる幽霊』という話があり、その部屋は過去
何度も自殺があり、その幽霊がお盆に戻ってくるので、お盆中は帰省し
なさい。でないと、貴方もあちらの世界に呼ばれる……という、
まぁよくありていな話だった。ところが
よくよく調べてみれば、その部屋とはKが住んでいる部屋であったのだ。
笑い半分、冗談半分で、「お前、だからお盆は寮に残っちゃだめだぞ、家、大学からそう離れて
ないんだからちゃんと帰れよ」と言ったのを覚えている。
それからは、会えば話す程度の仲であったので、お互いに普通に暮らし
ていた。彼が痩せてきたのは、いつからだったろうか……。
ある日、久々に道で会ってあっと驚いた。
まるで別人のように痩せ細り、無表情で歩くKを見たからだ。
何気なさを装い話しかけたが、今にして思うとあれが『死相』だったの
かもしれない……。*
4年の夏。
大学生活最後のお盆も近づいた頃、俺は実家に帰ることもあり、色々と
荷物整理をしていた。
ちょうど一息つき、みんなの集まる大部屋で一服しているとKもそこに
いた。「まぁ俺、実家帰るわ。夏休みどうすんの。今やってるゲームがさ……」
話に花が咲いていると、Kがとりあえず俺の部屋に来ません?
ということになり、おうそうすっか、と従う俺だった。大部屋で話しているときは、以前と同じ笑顔とまっすぐな瞳であったK
だったが、彼の部屋に着いた途端、彼の目の中の光が淀むのを感じた。
……心なしか、空気が重くなる。彼は口を開いた。突然に。
そう、突然に話し出したんだ。最初俺には何のことだかさっぱりだった。
「先輩……先輩……覚えてますか?
先輩。あの時のこと。俺、二人で
帰り道歩いたときに、誰かが俺の部屋から覗いてたって言ったことあった
じゃないですか……。「じつは、覗いてたってのは……、
あれ……俺自身だったんです」
「俺が覗いてたんです。
俺自身が白目を剥いて俺を見つめていたんです。
俺の部屋から。あはは。あの時、とても不吉な気がしたので言わなかった
んですけど。でも、やっぱりあれは俺だったんです。白目を大きく開けて
覗いてたのは……俺だったんです。あはははは」な……何馬鹿な事を突然に。
ただ、そのことを聞いた瞬間、俺はここにいてはいけない。
この部屋から出ないと、出て行かないとという非常に不安な気持ちに
なったんだ。
部屋自体がなぜか茶色く見え始めている……。曖昧な返事のままKの部屋を逃げるように出て、次の日早朝には実家に
車で帰った。そして、それが……俺とKの最後でもあったんだ。
それから二週間も経たない間に……Kは自殺した。
寮の自分の部屋で……。
第一発見者によると、部屋中の壁は血だらけだったそうだ。
手首の動脈を切っただけでは死に切れなかったのだろう、カッターで首の
頚動脈を何度も切ろうとした経緯が残っており、苦悶を浮かべた凄惨とし
か言いようのない亡骸だったようだ。また、夏休みということもあり、寮生は皆帰省して発見が遅れたことも
命取りとなり、死後一週間ほど経っていた。知らせを受け、俺もすぐに寮に戻ったが、もちろんKの亡骸はすでに実家
に戻されていた。見たくもない自殺現場を、好奇心旺盛な友達の誘いで半ば強引に見に行っ
たが、茶色のような赤錆のような色で部屋全体が覆われていた。そう、俺が最後に奴と話したときに感じた色、そのものであった。
……俺は吐き気を覚えた。結局、Kは自殺原因がわからないまま、遺言もないため「心不全」として
葬儀されたのだった。葬式当日、俺は荼毘にふしたKの棺を見ながら、ついあの時Kが呟いた
ことが頭から離れなくなっていたんだ。「先輩……先輩……。あの時、部屋から白目を剥いた俺が、
俺を見つめていたんだ。見つめていたんだ。見つめていたんだ」ったく、結局何だってんだよ。
俺はそう思いながらも、いつもの生活と就職活動に明け暮れる毎日に
戻っていったのだ。*
後輩Kの自殺。
しかし、就職活動と日々の生活で徐々に忘れていく日々だった。
そんなある日、秋も深まり肌寒い夕暮れ時。
友達と講義が終わり寮へ戻るときだった。
研究の成果、将来の不安、色々なことに押し潰されそうになっている俺は「えっ!?」
と驚きの声を上げる友達に、ふと我に返った。
どうしたのか訊いてみるが言い淀む友達。「いや……気のせいだと思うから気にしないでくれ」
そう繰り返し、そこから先を言おうとしない友達。
どうにか説得して聞いてみると、「絶対気のせいだと思うんだけど、とりあえず正直に話すわ。
気にするなよ」「いや……例の部屋からKがこっちを見ていた。確か今は空き部屋に
なってるからそんなわけはないし、光の加減だと思うけど、Kがこっち
を見ていた。お前の方を見ていた」唖然とする俺を尻目に、友達は下を向いて吐き捨てるように呟く。
「……しかも、奴の隣にお前に似た姿の奴も立っていた」
俺はあまりの恐怖に戦慄したが、結局本当に俺自身がそこに立っていたの
かどうか、そして奴らは白目を剥いていたかどうか……怖くて、それ以上
聞くことはできなかった。この一件以来、どうも心に何かわだかまりができ、俺の大学生活は砂を
噛んだような終わりを迎えた。もう二度とこの寮には来ない……とも心ひそかに決意もしたのである。
*
話は今に戻る。
そんな事を思い出しながら、懐かしい大学時代の友達にMSNチャットで
連絡取ってみた。「久しぶり、元気か? ところでこの式、お前も出席するのか」
「はぁ? 何言ってるの? 暑さでやられた?(笑)」
「いや、だから、寮の取り壊し記念10周年だか何だかなんだろ?
よく読まないで捨てたけど……お前行くのかよ? まだ北海道にいるん
だろ? 俺の代わりに行って来いよ、懐かしいよなー。皆元気かな?」チャットの文章は冷たく現実に引き戻す。
「いやだから、お前何言ってるの? そんな式、あるわけないじゃん。
誰からも聞いてねぇよ。招待状? はぁ? 誰かのいたずらじゃねーの?
現にあの寮、取り壊してなんてしてねぇよ。ま、老朽化のために誰も住ん
ではいないんだけどな。廃墟だ。はは。廃墟」唖然とする俺を笑うかのように、窓が、鳴いた。
それから気を取り直してゴミ箱を漁ってみるも、そんな招待状など
どこにもないのだった。そういえば……どうやって俺のタイの住所なんてわかったんだろう。
メアドならまだしも、住所なんて大学時代の友達には言っていないのに。
今も目を瞑ると思い浮かぶシーンがある。
今はすでに誰も住んでいないあの寮から覗くKの姿、
そしてその横には俺の姿……。未だにあの窓から誰かを覗いているのだろうか……。
そして、誰かが来るのを待っているのだろうか……。