「贄城」
○○県○○市、ここの城下を見渡せる小高い、小山に○○○
城後がありその昔、ここでは、残虐非道を通り越した、悪魔の
所業が行われていたそうです。
時は戦国乱世、天文○○年(15●●年)、この城では城主
の命により、攻め込んだ他国からは必ず、大勢の捕虜を手に入
れていたそうです。それは何故か?決まっています、城内〜城
下内のあらゆる儀式(河川工事の人柱、雨乞いの生け贄、豊作
への神への貢ぎ贄、呪術、占ない他)から戦の出陣前に生け贄
を身仏に捧げ武運を祈願したり、戦の行方を占ったそうです。ある者は、歯を抜かれ、ある者は、爪を剥ぎ取ったり、指を
ひきちぎり、火ばしで唇を突き刺したり、鼻と唇を削ぎ落とし
たり、両目をえぐりだしたり、あごの切断や顔の皮を剥ぐなど
して、その血液や肉を仏に捧げた後、絶命させたそうです。特に最悪だつたのが、手足を後ろで縛った捕虜を天守閣へと
続く、急坂、急階段の最上段から突き落とし転がす「人玉」だ
ったそうです、石段の途中で止まる度に、棒や足で、歯を剥き
出しうすら笑いを浮かべながら、つつき落としたそうです。裏手城門に到達する頃には、腹が裂け内臓が飛び出し、目玉
も飛び散り、口から食道を吐き出したり背骨は折れ、手足がち
ぎれたり、ついには血肉の塊りだけとなっていたそうです。その後は、「死肉食い/死人食い」と呼ばれる、人食い人や
犬が、遺体を綺麗に食べたそうです。
※月に10人以上は、生け贄にされたそうです。