「不燃板」

 東京の立会川駅と大森海岸駅の間に、鈴ケ森処刑場遺跡
あり大経寺の境内には、当時のはりつけ台、火炙り台などの台石が
今尚、残されています。

 ここには、現在も「人魂」や「人影」の目撃情報や、深夜の京浜急行
電車の窓に映る?「見懲らし首」の首の目撃情報など怪談の宝庫です。
さて、「立会川」と言う地名は、「処刑場の役人が罪人の引渡しに
立ち会った地」
と言う意味で、そう呼ばれるようになったそうです。   

これは江戸時代の話です。

当時、●●寺の神主が、幕府の命により、何故か風呂樽を、お払いし、
燃やした川原があったそうです。ただし、何度焚き上げても樽の一部
が燃えず
、とうとう神主は、全て燃えた事にし、燃えない板を川原に
埋めたそうです。

所が、板を埋めた、その場所には夜になると、絶世の美女が現れ、
深夜に通りかかる男を手招きしては誘き寄せ、近づいて来た男は必ず、
次の日にはどざえもんとして川に流れていたそうです、被害者が
10人を超えた頃、何かに気付いた神主が、埋めた板を掘り起こし、
再び祓い、神船に載せ海へ流したそうです、以来、川原に美女が
出現する事は無くなったそうです。

 この、ドス黒く変色した燃えない板、いったい何処で
使われていた物で、何の為に御祓いまでする必要があったのか、
それが分ったのは明治の後半でした…。
 その変色した、板に染み付いた物は、血液であり、長期間、
数多くの生娘が殺されその桶に血を入れていた為の血染め板だった
そうです。実は、その風呂桶は、以前、大奥から運び出された
呪いの風呂ダル」と言われる代物だったらしいのです。
何でも、老いを悲観したお局の命令で、当初は、罪人の生娘から、
最後はさらわれた町人の生娘などの腕や足、首をはね、血を桶に
溜め沸かし、その「血液風呂」に入れば、若返ると信じられて、
殺された3000人以上もの娘達の恨みと怨念のとり付いた
「不燃板」だったそうです。   

 

 


  次の怪談読む?   

スポンサーも訪れてくれると嬉しいです(^^)
スポンサーも訪れて下さいね。別ウインドウなんでお気軽に。