「地獄〜アマッラの惨劇〜」
1098年頃、中世のシリアに「アマッラ」と言う城壁に囲
まれた小さく(人口1万人)平和な街がありました。このころ
中東に侵攻し「アンティオキア」を陥落させたヨーロッパの十
字軍が、この「アマッラ」にも襲い掛かった時のお話です。この街を囲んだ十字軍でしたが城壁と激しい市民達の抵抗の為、
街は落とせませんでした。そこで、十字軍は、和平交渉(抵抗
を止めれば市民の命は保証する)をし、ついに城壁内に侵入す
る事に成功したのです。 勿論、交渉など大ウソ八百のコンコ
ンチキ。街内部に侵入した十字軍による市民への
大虐殺イベントの幕は切って落とされたのです。
棍棒で殴り倒し、盾をぶつけ、槍で突き、手足の指を折り石
で潰し、足腕の骨を折り、剣で手足を切断、首をはね、斧で頭
を割り、腹を割き臓器を引きずり出し壁へぶちまけたり雪合戦
ならぬ臓器合戦をし、舌を切り、目玉をえぐり出し握り潰し地
面に叩きつけ、鼻や耳を削ぎ落とし、頭の皮を剥ぎ、口を耳ま
で広げ、歯を全部折り、下あごを引き千切り、喉仏を潰し、鼻
の穴へ棒を詰め脳へ突き上げ、耳の穴を増やし、背中から皮を
剥ぎ人間を三枚に下ろす、子供と犬を集めなおかつ妊婦の腹を
割き赤子を取り出し生きたまま串刺しにするなど数千人にあら
ん限りの残虐をしまくったそうです。
更に恐ろしいのは、十字軍は、この数日間、食料不足から
極限の飢餓状態だったのです。それは、アマッラの水や保存食料
を全て食べ尽くしても足りず、とうとう、串刺しの子供、犬を
串焼きにし、先に殺害した大量の大人達の死肉を鍋で煮たり、
バーベキュウ、脳を生スライスや炙り焼いて食べ尽くしてしま
ったそうです。
この頃、中世ヨーロッパでは、サラセン人(イスラム教徒)
の人肉を食す事が信仰の一環として信じられていたそうです。
「間違った神を崇め奉り信仰した報いを思い知るがいい。俺達
に食われ俺達の腹の中で後悔し懺悔しろ、間違った神を信じる
愚教徒など万死に価する。この世に神は、お一人だけだ」現在
もなお、この近辺に住む住民達は、先祖がヨーロッパ人に食べ
られた事を子孫に語り伝え、永遠に恨みを込め憎しみと怒りの
名のもとに決して忘れないそうです。